
ストレスの構造
ストレスとは
近年、急激な生活環境の変化に伴うストレスによる健康障害が問題化してきている。このように一般に、゛ストレス”という言葉が気軽に使われていますが、゛ストレス゛とは外からの刺激に対する生体の反応のことをいい、そのストレスを生じさせる刺激のことを”ストレッサー”と呼びます。この言葉をカナダのハンス・セリエ(Hans
Selye)が初めて論文に記したのは1936年のことです。そのとき、彼は29歳でした。それからおよそ10年して、ストレスを「からだに加わった侵襲による歪み」として、医学的用語として用いられるようになりました。このストレスの概念は、体が何らかの傷害を受けると、その傷害がどのようなものであっても、共通した全身反応を起こし、これらの傷害からおのれを防衛し、ひいては適応状態を獲得、維持することにあります。そして、このストレスに対する共通の全身反応として、セリエは、副腎の肥大、胸腺、リンパ節の萎縮、消化管粘膜の潰瘍などを挙げています。しかし、はじめのこのような体に加わる傷害への適応反応としてのストレスの意義づけから、次第に、精神的・社会的負荷による異常状態への反応としてのストレスに重点が置かれるようになってきました。したがって、現在、一般には、ストレスといえばこの種々の精神的な面を意味するように理解されている場合が多くあります。
ストレスとホメオスタシス
このセリエによるストレスの概念に先立ち、フランスのベルナード(Claude Bernard)は1865年、細胞にとっての環境である細胞外液の状態を内部環境と名づけて、生体には生体の内部を一定の状態に保つ機能が備わっているものと考え、内部環境の恒常性」という概念を提唱しました。その後、アメリカのキャノン(Walter
B. Cannon)がこの考え方を継承し、種々の環境の変化に対応して、生体内の種々の機能を一定の状態に保つ恒常性、すなわち、”ホメオスタシス”の機能があることを提唱しました。そして、この生体のホメオスタシスを維持するため、神経系、内分泌系や免疫系などの調節系がお互いに緊密な連携をもって働き、重要な調節機構の役割を果たしています。このホメオスタシス機能もストレス時には歪みが生じ、これを安定した状態に保つため反応するが、ストレス刺激が長期化したり、その量が大きすぎたりするとホメオスタシス機構に破綻をきたし、からだにも種々の弊害がもたらされるわけです。今、これらのストレスから逃れることが重要な課題であり、その予防方法が模索されているところです。
ストレッサー
このようにストレスの概念が少しずつ明瞭になってきています。ストレスを生じさせる刺激”ストレッサー”は、生物学的、物理的、化学的、社会的および心理的なストレッサー5種類に分類されます。その中で、先にも述べたように、近年、心理的、社会的ストレスがクローズアップされ、ストレスの代名詞の感があります。生物学的、物理的、化学的などのストレスは、その原因となる対象が比較的同定しやすいですが、精神的緊張・不安や心理的葛藤など社会的、心理的ストレスによるものは、その原因が複雑に錯綜している場合が多く、原因を突き止め、病状を緩解させるのは容易ではありません。また、もし、質、量ともに同じストレッサーが負荷されたとしても、それぞれの固体による反応性は必ずしも同じではないわけであるが、この負荷ストレスの定量性や固体のストレス反応性の違いなどについての研究は非常に立ち遅れています。
ストレス反応の修飾
個人または同じ個人でもその時々によるストレス反応性の違いは何からくるのでしょうか?総じていえば、その精神的、肉体的健康状態に依存するところが大きいと考えられます。すなわち、ホメオスタシス維持機能の低下があり、ひいては固体の栄養状態がストレス反応へ及ぼす影響などが注目されますが、ほとんど未解決の問題点です。我々は、ストレス負荷時におけるその反応性が栄養条件によってどのような変化を受けるかについての研究を行っていますが、その中で、欧米の人々によりストレスを受けやすいといわれている日本人の栄養状態の問題点として、常に指摘されているカルシウムの摂取不足に注目して、カルシウムの摂取不足がストレスの反応性にどのような影響を与えるかについて実験的研究を行った結果について述べます。
カルシウムとストレスの相関関係
ストレス反応と神経伝達物質
栄養状態のストレス反応性への影響を評価するための指標として、神経伝達物質を用いることにしました。ストレス刺激が加わると速やかに、神経系、とくに交感神経系の機能が高まり、副腎髄質から神経伝達物質であるアドレナリンやノルアドレナリンなどのカテコールアミンが分泌されるなど、直ちに、全身的な神経伝達物質の変動に変化をもたらすことが知られています。これらの神経伝達物質の代表的なものとして、カテコールアミン、セロトニンおよびそれらの代謝物をターゲットとしました。今回は、ストレスにより大きく影響を受けることが予測される脳内のこれらの物質の変化を指標にして、栄養状態とストレス反応性の変化の関係を見ました。
カルシウム欠乏によるストレス反応の変化
ラット(だいこくねずみ)を2群に分け、カルシウム欠乏の飼料と正常の飼料をそれぞれに与えて3週間飼育します。カルシウム欠乏飼料を与えられたラットは、外見上および解剖時には正常のラットとなんら差異は認められませんが、血圧、体温の上昇などが観察される。そして、カルシウムの欠乏により、脳、骨、心臓、腎臓、などのカルシウムの濃度は低下し、血液、脾臓などではマグネシウムが増加するなど、カルシウムとマグネシウムのバランスが崩れており、また、血液、骨、その他各種組織中のナトリウムをはじめ、カリウム、リン、亜鉛、鉄、銅など多くのミネラル濃度にも大きな変化をもたらしています。このカルシウム欠乏飼料と正常飼料で飼育したラットをさらに2群に分け、それぞれ一方には15分間、四肢を拘束する比較的緩やかなストレスを負荷しました。そして、ラットの脳の線条体を生理的食塩水にて透析懽流し、その懽流液中へ遊離してきたカテコールアミン(CA)、セロトニン(5HT)および代謝物の濃度を測定し、遊離の動態をみました。�� カルシウム欠乏ではノルアドレナリン(NA)の放出が増加、ドーパミン(DA)は低下し、これらの代謝物である3.4―ジヒドロキフェニル酢酸(DOPAC)、ホモバニリン酸(HVA)や、セロトニンの代謝物である5−ハイドロキシインドール酢酸(5HIAA)は大幅に低下�▲好肇譽垢�加わると、DOPAC、HVA、5HIAAが大幅に低下��正常食を摂取しているラットではストレスから解放するとこれらの物質の遊離が正常に回復する�ぅ�ルシウム欠乏ラットではストレスから解放後もそれらの遊離増加状態が続くこのようにカルシウム欠乏時にストレスが加えられると、ストレス反応が大きくなり、ストレス負荷の時間が長くなるとDAや5HT代謝系の回復幅が大幅に遅れることが明らかとなり、また、負荷が大きいと回復不可能に陥るであろうことが予測されます。すなわち、カルシウム欠乏によりストレス回避に対するホメオスタシス能が低下する可能性が示唆されました。また、上記と同条件で飼育した4群のラットについて、脳をろく6部位(海馬、線条体、皮質、脳幹、小脳、延髄)別に、その中のこれら神経伝達物質の変化を指標として、ストレス反応性へのカルシウム欠乏の影響についても検討しました。先に述べたように、脳線条体からのCAや5TH代謝物の放出はストレスやカルシウム欠乏が加わると大きな変化を受けることを示しましたが、線条体中のこれらの物質濃度には変化はみられませんでした。その他の部位で顕著な変化がみられませんでした。その他の部位で顕著な変化がみられたのは、脳の皮質部と延髄で、皮質ではカルシウム欠乏によりDOPAC、5HTおよび5HIAAが低下、HVAは上昇、ストレス負荷により5HT、5HIAAに対してはカルシウム欠乏とストレスの相乗相互効果が認められました。延髄ではカルシウム欠乏でNA、DA、5HT、5HIAAが低下し、これらは、ストレス負荷によってさらに大幅に低下し、NA、DA、5HT、および5HIAAの動態にはカルシウム欠乏とストレスの相乗相互作用効果として表れました。
心の健康も栄養から
このことは、組織内カテコールアミン系物質の濃度は中枢における糧コールアミン系ニューロンの起点ともいうべき延髄において、ストレスや、また、カルシウム欠乏それぞれ単独の効果として低下し、この両者が重なると、より状況が重篤になることが明らかになりました。ストレスとカテコールアミン代謝の関連については、これまでにも、田中らにより、ストレスによる脳内カテコールアミン系の代謝が変化すること、斉藤らにより、ストレスにより尿中カテコールアミン類の排泄が増すことなど多くの報告があり、また、拘束ストレスによる脳の銅や亜鉛濃度が低下するなどの報告もあります。しかし、このストレスの影響が栄養状態により変化することは知られていません。これら神経伝達物質の生合成や代謝などへのカルシウムの関与についての詳細な機構は、現段階では明らかではないが、カルシウムの膜機能との関連、カルシウム欠乏による他の種々のミネラルやビタミン類の栄養状態の変化などが考慮されます。また、栄養摂取状況とストレスの自覚症状の多いグループではカルシウム、ビタミンA、ビタミンB2 、ビタミンCの摂取量が低いという報告もあります。総じて、日本人は常にカルシウム摂取不足の傾向にありますが、カルシウム不足の栄養状態下では、ストレスに対する反応性が過敏になり、ストレスへの適応性、回避能が低下し、ストレスの影響を大きく受けるであろうことが示唆されました。最近、心理的、社会的ストレスに焦点をあてて、「自分でストレスを作らないように、ストレスを維持させないように、ストレスを快適なものに振り返る努力を」などの自己精神的改革や「心身の鍛練、身体的疾病の予防」など身体的健康管理の重要性が提唱されています。しかし、これらの自己コントロールや自己管理は必ずしも容易ではありません。身体の健康だけでなく、心の健康の根底もやはり”栄養”です。今回はカルシウムとストレスについて述べましたが、日常あまり注目されていないビタミンやミネラルなど微量栄養素にも充分注目し、ストレスから身を護るためにもバランスのよい食生活を改めて実行したいものです。
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「深層海水と健康」研究会理事長・タケダライフサイエンスリサーチセンター所長
木村美恵子先生